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武辺寛則青年海外協力隊JICAでガーナで殉職!パイナップル栽培指導

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武辺寛則がガーナで殉職
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ありえへん∞世界2014年7月1日(火)に放送の
『世界と日本の知られざる絆』2時間スペシャルで
武辺寛則(たけべひろのり)さんが取り上げられていました。

 

日本では知らない人も多いですが、
ガーナで黄熱病の研究をし、研究室には銅像も建てられている
あの野口英世よりも有名な日本人として現地で語り継がれている人物です。

 

青年海外協力隊(JICA)でガーナに派遣され、
わずか27歳という若さでこの世を去った武辺さんの一生に迫ります。

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武辺寛則さんの経歴(プロフィール)

長崎県出身。

 

大学を卒業後に一度は商社へ就職するも、
1986年(昭和61年)25歳の時に退社。

 

子供の頃からの夢だった海外での仕事に就くために
青年海外協力隊の道へ進みます。

 

そしてガーナのアチュワ村に派遣された武辺さん。

 

その村での役割は、自給自足で貧困、干ばつに苦しむ
村人達の生活レベルを上げるというもの。

 

25歳で、しかも異国も異国のガーナで村人たちの為に
頑張るという決意ができているというのが凄いですよね(;゚Д゚)

パイナップル栽培に取り組む

武辺さんはまず養鶏に取り組みます。

 

養鶏が大雨の水害に遭ったり蟻の被害にあったりと
紆余曲折を繰り返しますが、村のことを第一に思う活動に
次第に現地の村人からも信頼を得ます。

 

そして、短期収入にしかならない養鶏だけでなく、
村の土地の質や将来性を考えパイナップルの栽培に取り組むことに!
アチュワ村パイナップル協会を設立し現地住民の栽培希望者を集めます。

 

責任感と連帯感を持つために、また協会の運営継続の為にも
会員費を集めることにしますが、当時村ではそういった習慣がなかった為、
反対の意見も多く出たようです。(会員費については粘り強く説得し続けたそうです)

 

パイナップルを作るだけでなく、作って後の販売ルートの開拓も
缶詰業者や輸出業者と交渉して行っていたそうです。

 

その交渉などは日本に商社で勤めていた時の経験を活かしてとのことで、
人生でやって来た事が色んな形でつながっていくんだなと思いました!

 

パイナップル栽培に尽力した武辺さんは、更に村人達から信頼を得て、
村のまとめ役の「ナナ・シピ」という役職の就任を要請されることになります!

 

外国人である武辺さんが村のまとめ役をお願いされるなんて
物凄いことだと思いませんか(`・ω・´)

 

武辺さんは、いつかは村を離れてしまうからという理由で
一度は断るも、村の長老から

 

「もし日本に帰ってもナナ・シピになればこの村のことも忘れないだろう。
ぜひ引き受けて欲しい」

 

と再度依頼され、そこで就任することになります。

 

アチュワ村での任期は2年でしたが、
1年の延長を依頼された武辺さん。

 

延長の年に入り、パイナップル栽培が根付こうとしていたある日に、
武辺さんは交通事故で亡くなってしまったのです。

 

しかし、武辺さん亡き後も村ではパイナップル栽培が定着し、
今ではヨーロッパなどへも輸出するほどになっているんだとか!

 

武辺さんは実際にその村の発展を目に見ることは叶いませんでしたが、
武辺さんの想い、頑張りが実を結んで本当に良かったですね(`;ω;´)

 

村の中心部には、「タケベガーデン」と名付けられた公園が
村人達によって作られ、パイナップルの形をした慰霊碑も立っています。

 

武辺さんの一生が書かれた
「ガーナに賭けた青春 意志あるところ、道は通じる」
という書籍も出版されていますので、もっと知りたい方は手に取られてみてください。

 

私も武辺さんのように純粋に、熱い気持ちで
人生を生きているか考えさせれらましたね(´・ω・`)

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